【人間関係につかれた】弱さを認めてくれる人と出会うには

LIFE

孤独を恐れる人は、自分の弱みをさらすことを避けたがります。弱みを知られて周囲から見下されること、実力がバレてがっかりされること、あきれられたりして人が離れていって、一人になることを心配するのではないでしょうか。いつまでも自分に素直になれず、疲れてしまう自分にも「弱さを認めてくれる人と出会えれば」これほど幸せなものはありません。😀

  • 周囲に人柄も伝わらず、疲弊してしまう
  • 発想を変えてみると・・
  • さらけ出せばいつも爽やかな気分でいられる
  • 弱みはむしろ共感のベースとなる
  • 「自分が嫌い」という人への質問
  • 思い切って交友関係を変えてみる

周囲に人柄も伝わらず、疲弊してしまう

冒頭で述べた通り、孤独を恐れる人は自分の弱みをさらすことを避けたがります。またその数々の理由で、失敗も恐れます。失敗は良くないことだと思い込みが強く、それで自分は無能な人間だと思われたくないからです。
失敗を恐れるから挑戦を躊躇(ちゅうちょ)します。だから成果も出ないとループにはまり、結局なにかを成すことはできません。
しかし孤独を恐れない人は、自分の弱みを隠すのやめているので、さらけ出すことを躊躇しません。

そのために人が離れていったとしても、それはそれで仕方がないと思っているからです。それは自分の弱みすら肯定できているからです。


それは、単なるあきらめとか、現状維持でいいという逃げの意味ではなく、「たしかに自分の欠点かもしれないけれど、それを含めて自分である」と受け入れているということ・・・
だから、仮にそれで他人にバカにされたとしても、「そうゆう人もいるんだ」くらいで気にならないのです。

発想を変えてみると・・

孤独をたのしめる人は、どうでもいい人と無理してつきあう発想がありませんので、人の欠点をバカにする程度の人間は自分の周囲には不要だと、良い意味で割り切っています。
だからその人は失敗も恐れません。失敗とは自分の学びであり、恥ずかしいものではないという認識があるため、それで他人がどう思おうと関係ないからです。
失敗も含めて自分をさらけ出すことができるのです。

さらけ出せばいつも爽やかな気分でいられる

弱みを出せない人は、早かれ遅かれ心が少しずづ削られていきます。
たとえばお金持ちではないのにお金持ちをを装う。さほど優秀ではなくても有能なように振る舞う。もう若くないのに、老いを隠そうとする。本当は自己中心的なのに、慈愛(じあい)にあふれているフリをする・・・


経歴詐称などはその典型で、自分はバカだと思われたくないから、認めてほしいから、一流の経歴を装う。しかしそれはウソだから、バレないように、いろいろとストーリーや理由を考えてつじつまを合わせないといけない。ウソを隠すためにまたウソをつかわなければならない。バレたらどうしようという不安感が常につきまとう。

そのような日々を何年、何十年と隠した状態を続けなければならないのか。これでは疲れるのも当然です。
しかし、自分をさらけ出せる人の心はいつも爽やかです。
隠し事をする必要がない状態というのは、心の引っ掛かりがないからです。
つじつまを合わせる努力もそのための精神的負担も不要で、いつも本音で生きることが出来ます。
自分の素性を誰からもガードする必要がないというのは気分爽快です。

弱みはむしろ共感のベースとなる

どうすればそんな心の強さを獲得するのができるのでしょう?
その方法の一つは、「その弱みを見せた時、いったいどのような困ったことが起こるのか?」を具体的に考えてみることです。
たとえば私の場合(笑)、「自分はネクラで人見知りで引っ込み思案という三重苦をかかえています」と伝えますが、それを聞いた周りの反応は「え、そうなんですか?そうは見えないですけれどね~」くらいのもので、何か悪いことが起こることはありません。


自分の弱みや欠点は隠すのではなく肯定し、表に出せば出すほどコンプレックスは薄まり、むしろ自分に対する信頼感や自信につなかるのだと思います。

「こんな自分だけど、いやこんな自分だからこそ自分は自分を気にいってる」と思える境地です。

多くの人が経験したことがあると思いますが、たとえばいつも完璧に見える人がドジをしたら、意外に感じて好意的に受け取ることもあるでしょう。お笑い芸人も、自分の欠点を上手に表現して笑いをとっていますね。
弱みを見せることは恥ずかしいことではないし、むしろ魅力にもなるのです。

「自分が嫌い」という人への質問

自分の性格が嫌い」という人は少なくないと聞きます。でもそうゆう人は、嫌っているだけでどうすべきかの戦略がまるで無いことがほとんど。
変わりたいなら変わるための方法論を考えているはずですが、考えてもいないのです。

そので、次の質問を投げかけてみたいと思います。

・具体的に自分のどうゆうところが嫌いなのか?
・それはなぜなのか?
・それで困ったことになっているのか?
・ではどうゆう性格が理想なのか?
・その性格になることは、より自分らしく生きられるようになるのか?
・では具体的にどうすれば理想の性格になれるのか?

これを自問自答すると、ほとんどの人がぼんやりとした不満であり、明確な答えをもっているわけではないと分かります。

つまり、自分の周りにいる友人知人などの印象から、単にうらやましく思っているだけで、「仮面ライダーになりたい」「あこがれた芸能人になりたい」と言っているのと同じレベルの発想なのです。
だから自分の性格が嫌いという人で、でも特に行動を起こせず思っているだけの人は、「本当に嫌いなの?本当にそれで悪いことばかりなの?」と自問してみましょう。

実は本当に嫌いではなく、自分の個性を認めてくれる人が周りに少なく、自分とは違う性格の人がちやほやされている状態を見てうらやましいと感じているだけなのです。
つまり、自分を見てほしい、自分を認めてほしい、自分を理解して受け入れてほしい、でもそうなっていないという満たされていない承認欲求が、自分を嫌うという反動になっているのです。

思い切って交友関係を変えてみる

その原因のひとつには、交友関係のミスマッチがあると考えられます。
もちろん、グループにはいろんな人がいろんな役割分担があり、それがうまく嚙み合って仲良しグループを構成するわけです。
そして望ましいのは、それぞれは違う人間であっても、それでもお互いが個性や性格を尊重し合える関係です。しかしそのグループにいながら「自分の性格が嫌い」という思いがぬぐえないなら、それはあなたの個性を理解し、受け入れることができない人達とつきあっている可能性を疑ったほうがいいでしょう。

そこで、思い切って交友関係を変えてっみることです。

学校や職場がらみで無理なら、そこは現状維持のまま、趣味や娯楽などほかの世界で新たな交友を見つけましょう。きっと「あなたのそうゆうところがいいと思う」という人が表れるはずです。


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