【自分の心を素直に】つらい感情を乗り越えるためには

LIFE

「つらい感情から逃げる」のをやめられると、辛さを乗り越えて人としての魅力が増す。そんなお話しをご紹介します。感情をそのまま受止める勇気があるこそ、数々の悲しみを受け入れられ、これからも乗り越えていける自信や輝きにつながるのではないでしょうか。😀

  • 感情をそのまま受け止める勇気は必要
  • 忘れようとするのではなく、思い出す
  • 自分をむやみに否定しない
  • 自分をむやみに励まさない

感情をそのまま受け止める勇気は必要

つらい感情から逃げるのをやめられない人は、自分の心をごまかし、人としての深みが出ないといわれます。自分の感情をそのまま受止める勇気も備われば、つらさを乗り越えて自分としての魅力が一層ますのではないでしょうか。
前ブログで「内省」に関しての紹介をしましたが、内省の一つの方法に「内観」があります。
内観とは、自分の「内」なる心の動きや感情を文字通り「観察する」ことです。

たとえば失恋して辛い、失業して辛い、と思ってもその感情をごまかさないで、じっとその感情と向かうこと。「自分はつらいんだ」「自分は苦しんでいるんだ」と、その感情を否定しないで味わうのです。
これは勇気がいることだと思います。その勇気がない人は自分の感情と向き合うことを避け、ヤケ酒やヤケ食い、あるいはどうでもいい異性との刹那(せつな)的な関係に逃げようとしてしまいがちです。
しかしそれは、くさい物にフタをするように、自ら見ないようにしているだけです。

何もしていないと思い出して辛いからと、誰かとどんちゃん騒ぎしてそのことを考えないようにするという行為に走るのは、そもそも自分の心をごまかしているだけなのではないでしょうか。

どん底から復活したことのある人は、その悲しみを受け入れ、乗り越えてきたという自信が精神の輝きとなり、表情や言動ににじみ出ていますので、魅力や人間的な深みを生んでいるのでしょう。

忘れようとするのではなく、思い出す

たとえば失恋の心の痛みは非常に大きく、人生が終わったように感じるものです。
でもそこから立ち直るには、思い出さないようにするのではなく、どんどん思い出すことです。


「これからどうすればいいのか」という未来ではなく、楽しい思い出を振り返り、過去にもどるのです。
過去を振り返り、楽しかった余韻に浸る。すると余計に辛く悲しくなりますが、その悲しみもじっくり受け止める。何度も涙が出るでしょう。しかしそうやって一人自分の心の奥底から湧き上がってくる悲しみと向き合うのです。


それは数か月、もしかしたら数年を要するかも知れません。飽きるほどに思い出しを繰り返し反芻し続ければ、やがて思い出という「事実」と、悲しさという「感情」が切り離される時がやって来ます。
そして徐々に「自分はあの人を大事だと思っていたけど、相手にとっては自分は大事な存在ではなかった。それは悲しいことだけど、あの人はあの人で生きていくのだし、自分は自分で生きていくしかないんだ」という、どこか自分の外側から自分を見つめる冷静なもう一人の自分が顔を出すようになります。

そしてその冷静な自分は、「次の恋愛からはこのように接しよう」という教訓すら引き出してくれます。

自分をむやみに否定しない

内観によって自分の感情をコントロールするにはコツがあります。
ひとつは「自分を否定しない」ことです。
自分の感情は自分の感情として、沸き上がったものを否定せずに受け入れるのです。
たとえば「こんなことで悩んでいる自分はダメだ」「こんなことでクヨクヨする自分ではいけない」などと、自分を否定しようとすると、かえって自分を追い詰めることになります。
また、他人に対する感情も同じです。自分の中に「人を憎むのは良くないこと」という固定観念があると「人を憎むような人間は人間失格だ」と自己嫌悪に陥ってしまいます。

だからそれも受け止める。「自分はあの人を憎んでいる。そうかそうか。憎んでいるのか」と、嫌いな人は嫌いなままでいい。嫌いな感情を否定しない・・・


「人を憎んでもいいんだ」「嫌いな人がいてもいいんだ」と自分を受け入れると、何か心の束縛から解放された気分になります。そうやって「自分はこの人が嫌い」「自分はこの人が嫌い」と、自分で自分の感情をしっかり把握すれば、感情的に反発したり、カッとなって取り返しのつかない行動をとったりすることがなくなります。

「この人ムカつく」「この人は大嫌い」という感情を明確に認識すればするほど、相手の性格を分析するようになります。
「この人はどうゆう性格なのか、その性格はどういう理由で作られたのか」「この人とどう接するのが自分にとってさわやかになれるのか」と、冷静に見つめる自分が顔を出してくるのです。

自分をむやみに励まさない

もうひとつのコツは、道徳的なあるべき論にとらわれて「無理に自分を励まそうとしない」ことです。
たとえばうまくいかない時や、挫折しそうな時に、「くよくよするな、自分」「しっかりしろ、俺」「こんなことでへこたれるな、私」「ガンバレ、私」と、自分に言い聞かせることがあります。
もちろん、気持ちが復活する人はどんどんすればいいのですが、「ガンバレない自分がいる」ことまで否定すると、自分が疲弊します。

特に世の中は「がんばれ」「あきらめるな」という努力信仰が強いですから、がんばれない自分を卑下したり、自己嫌悪に陥ったりしかねません。

最後に

内観で大切なことは、「あるべき論」で固まった自分が自分に対して説教をするのではなく、自然にあふれ出る自分の声を受け止めることです。だから、「あー自分はいま、一杯いっぱい。ちょっと休憩したい」と感じたら、「ああ、自分は休みたいんだな」という本心を受け止めてあげる。
そうやって、「こうあらなくちゃ」という枷(かせ)を外し、「自分の本音はこう言ってるな」と敏感に察知することです。

ちょっと慣れが必要ですが、自分の声に素直になろうとすればするほど、あるべき論をいったん脇に置いて自分の本心を感じ取れるようになります。


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