「周囲にどう思われるか」を起点に理想を描いたりすることはありますか?
他人の目を優先し、「ありのままの自分」の姿や本心をごまかして振る舞うと、心が疲弊してしまいます。
見栄を張ることをやめて、理想と現実のギャップに苦しまないためのお話しです。
- ・自分の本心をごまかさない
- ・「ウソ・隠し事・見栄」はいらない
- ・「超鈍感」なくらいでちょうどいい
- ・すべては楽しい人生にするため
自分の本心をごまかさない
一目を気にしてしまう「周囲にどう思われるか」人は周囲にすごいと言われる事や、うらやましがられる事に価値を置いてしまいがちです。
そこまでではなくても「キラキラしている自分になりたい」と、もがいている人、周囲から認められるような活躍ができていない自分を謙悪している人は少なくないのではないでしょうか。
「有能に見られたい」「頭が悪いと思われたくない」という感情がどこかにあると、
他人の目を優先してしまうため、「ありのままの自分」の姿や本心をごまかして振る舞うと、心がどうしても疲弊してしまいます。
- 過剰な自己アピールは疲れるし、自己嫌悪にもなる。
- 「本当の実力がバレてがっかりされないか」という不安や重圧を抱えることになる。
ウソもつかず、隠し事もせず、見栄も張らず、「自分はこうゆう人間ですから」と全てオープンにすることで、後で矛盾が起こることもなく、自分が苦しくなることもありません。
「ウソ・隠し事・見栄」はいらない
人の目を気にすることもなく、今の自分を主役に置いて振る舞える勇気につなげるには、ウソや隠し事見栄は不要で、全て正直ペースで過ごしてみましょう。
自分の本心をごまかさない生き方をすれば、ウソも見栄もいりません。
たとえば、服装なども「普段着は安くて楽な方がいい」という自分の本心に従えば、服代にも過剰にお金をかけることもなくなりますし、
「いつも同じですね」と言われたとしても、「この方が楽なんですよ」と答えればそれで終わりです。
自分にとって何も困ることもないので、見栄を抱きながら服装に神経を使うこともなくなりますね。
「超鈍感」なくらいでちょうどいい
私は、閉塞感の強い現代の日本においても幸福を感じられる人とは、「打たれ強い人」だと思います。
” 打たれ強い ” というのは、「他人からどう思われても平気」ということです。
どんなボロボロの格好をしていても、どんなボロ家に住んでいても平気。
会社で上司からドヤされても平気。
給料が減ってもリストラされてもケロリ。
普通の人が困ることや悩むことでも平常心でいられる。
普通の人が難しいと思うことでも気にならない。
挑戦しても失敗しても、心の痛みを感じない ” 超鈍感な人 “
どんなに環境や状況が変わってもストレスを感じることがなく、何が起きても動じないというのは、何でもできる、まさに最強の人間ですね。
そんな夢のようなメンタルに一歩でも近づこうと鍛えるには2つの方法があるといわれています。
・「意味合いを変える」
たとえば普通の人が10つらいと感じることを、どう受け止めればその辛さを1にできるか、自分の中で都合のよい意味づけで変えていくという考え方。
・「割り切り感を持つ」
「バカに思われるくらいで丁度いい」という割り切り感を持つこと。
すべては楽しい人生にするために
みなさんの人生の目的はなんですか?
私は、他人から優秀だとか、お金持ちだとか思われことではなく、より自由になることです。
好きなこと、楽しいと思えること。ワクワクすることだけをして生きる事が好きです。
そう考えたら、バカの方が警戒されることはないし、逆に割り切っていれば他人の目を過剰に気にすることもありませんね。バカになれば恐れず挑戦もしやすくなります。
「こんなこと聞いて、バカだと思われたらどうしょう」などと、直接いわれた訳でもなのに、勝手に「バカと思われるんじゃないか」などと気にする必要がなくなるからです。
分からない事があったら、分かる事が目的だから、知ったフリをすることもなく、堂々と聞けます。
だから知識がどんどん増えるのです。
礼儀正しく普通に質問すれば、大人の相手であればバカにすることなく礼儀正しく教えてくれるものです。
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